昨夜は、実家にちょっと戻り

早起きしての早朝から元気にすくすく・・伸び放題伸びている・・雑草のお手入れからのスタート。

雑草とはいえ、この季節の緑の色のあざやかさや、勢い。

毎年こっちが負けそうで。。。。。

 

大量のゴミ袋を抱えて町内のゴミ置場へ行くと、

挨拶をしても生返事しか帰ってこないご近所のいつも無愛想なおばさまと一緒になり、、

「あら、住宅街なのに、こんなにゴミっって出るの?」って。

私「すみません、庭の植木やら雑草やらをちょっと手入れをしたので大量に出てしまって〜」と。

おばさま「あら、ご自分でやったのね。植木やさんなら持っていってくださるわよ。シルバー人材センター

だと持っていってくれないけどね。うちの植木なんて・・・・◯×◯×◯×〜〜〜」

話がつづくこと、、15分。私はすっぴん(汗)

しばらく話が続いた後、「ところであなたはどこのお宅の方?」

私「笑」「そこの斉藤の娘です」

おばさま「あら〜、小柄だったんじゃなかった??」→いつの話のことやら・・・

そこから続くコト、また15分。。。

年末にうちの植木やさんくるから紹介するわよ〜、連絡するわ〜。から

毎日足腰鍛えるのに散歩してるのよ〜、、、続く続くたわいもない話の立ち話に巻き込まれ。

ただこれまでの感じで「とっても無愛想」だと思っていたおばさまが、

実は「とっても優しい人懐っこい人だった」ということがわかり、ちょっと嬉しくて話に付き合ってしまった。。。

数十年持ち続けてきたおばさまの印象に、ちょっと意外な気分で

「やっぱり人って話してみないとわからないもんだな〜」と。

 

 

人って、やっぱり付き合ってみないと、話してみないとわからない部分って

とっても多いと思うんですよね。

でも、少しでも「わかりやすくあわられていたら・・・」そもそも無愛想と誤解をされ続けて

いることもなかっただろうし、私が話かけていたかもしれないし、違った付き合い方って

あったかもしれない。

 

 

印象って、自分の意思とは無関係に 、一人歩きをします。

伝言ゲームのように、

自分の目の前にいる人、 その人から先の人、 そのまた先の人、・・・というように。

 

また「見て」、人が勝手に想像をし、 印象=その人となりが伝わっていきます。

それは、時には 自分が想像しているようには、 相手に伝わらない事もよくあります。

 

人から言われる自分のイメージが 自分の思っているものと 違っていたりすることがあります。

その言葉に、想像以上にいいイメージで ちょっと嬉しかったり。

逆に残念なイメージに 取られていることにがっかりした、とか。

何故、自分が思っているように人に伝わらなかったりするのでしょうか。

 

 

人は「伝える・伝わる」ために 様々なコミュニケーションの方法を とっています。

印象も、コミュニケーション。

コミュニケーションには、人は誰もが2つの方法を使っています。

1つは、言葉を使って。

(バーバルコミュニケーション)。

もう1つは、言葉以外から=視覚・聴覚・触覚等

(ノンバーバルコミュニケーション)。

 

明確な言葉というものがなくても、何か相手から感じる、想像できる何かがある、

だから、印象が生まれる。

その人のイメージがわく。

そこには、 いい意味でのギャップも、 悪い意味でのギャップも、起こり得ます。

日本人は特にノンバーバルコミュニケーションの受信能力は高い。

自分が意図しているか否かは別として、 受け手は、発信されたものを、受信する。

言い換えれば、発信されないものは、受信もされない。

という言葉と同じシンプルなコミュニケーションの法則が成り立ちます。

 

 

だから、自分が意識をしていること。意図してみることで、伝わり方はやっぱり変わる。

いい関係性を築き上げる速度がかわる。深さが変わる。

 

 

「自分のよさ」「特徴」がどこにあるのか。

今まで意識をしていなかったことに、気づいてみる。意識をしてみる。

それだけで、表現力ってまた格段と変わっていくもの。

 

ないものより、今あるもの。

大事にしていこうと、あらためて思う今日。

 

 

魅力の総合演出家  斉藤典子