「さいとうのりこ」の歴史

東京都大田区生まれ。
母が退院の日には、大雪が降っていたとか。
そのため名前を「雪子」と名付けられ、、、そうになったところを単純な子になりそうだからと生命判断をしてつけてくれた名前が
「典子」
平均身長より少し小さく、平均体重よりだいぶ重く生まれ、近所のおばちゃまからは「歩くより転んだほうが典子ちゃんは速そうね〜」と言われながら元気に育つ。が、一年中風邪を引いているような子供だったため、病院通いが日課のような専業主婦だったはずの母は勤めに出ている人と周りからは言われていたとか。

社会人としてのデビューは、バブル世代の終わり頃。
「働くということ」「何がしたい?」なんて何のイメージも希望も持たずに無難なOLの道を選択し、都内の高層ビル群の中のコンピューター会社に就職。が、入社3日目で「OLとはこの建物の中から1日中出られないものなのか!』という事実を理解し、考えの薄かった自分に壮絶なる後悔の念に襲われる。
が、新人してはとてもありがたい環境で、全ての仕事の流れを自分で調整ができるという・・ありえないのびのび自由な仕事をさせていただき、事務方の一番怖いと言われていた先輩のものに配属されながらも可愛がっていただき、自由なOL生活を堪能。
ただし配属元の先輩のところには毎日のように色んな方が顔だしにくるので、、新人として失礼がないように、ないように・・と本人は毎日ビクビクして過ごしていた。
が後日聞いた話では、「新入社員には見えない新人が入ってきた」という噂が流れ、各署から珍しがられて覗き込まれていたらしい。

が、それでもストレス度は高く、約2年で転職。
何も知識を持っていない私を採用してくれた小さいながら広告会社の営業職につく。
おかげさまで様々な人と出会える楽しい仕事ではあったけど、飛び込み営業やら、新規開拓やら、、、ましてや知識のない私には毎日知らぬ言葉の嵐の中、未経験×知識を持たないので、始終社長からはゴミ箱を蹴飛ばされながら(笑)「もう一回出直してこいっ」と怒られ、制作チームからは呆れ顔で「で?」「どういうこと?」の疑問を投げかけられ、クライアントと制作との間を走り回る日々。。。
そんな中、カタチがないものがカタチになっていく過程を見ながら「働く」面白さ、人の思いや考えがカタチになっていく面白さをたくさん体感させてもらいます。
ただ、自分の感じる面白さと、実績はなかなか交わることがなく。。この人たちとちゃんと会話ができるようになりたい!と「学びたい」モードが全開に。

ただ、「働く」ことをイメージして生きてこなかった者にいざ何をする?と問いかけても答えはまだ、ゼロ。制作チームを振り返ってみてもデザイナーのようにデザインセンスはないし、プランナーのように頭はないし、コピーライターのように文章は書けないし、、、、悶々とする日々を過ごす。
25年以上前の当時にはまだ社会人が学べる場所も本当に数少なく、ましてや広告のことを学びなおすのにもデザインの勉強をするにも、大学という場所へ行きなおすか数少な〜〜い学校の中で選択するかを、思考錯誤。
働く+学ぶを両立させたく、社会人スクールの中で「何も持っていないなら、まず興味ももったこの分野につながる色彩から勉強してみよう」と当時ではまだ都内に3校程度しかなかった社会人向けスクールで1年間インテリア、商品企画、色彩戦略、景観デザイン、パーソナルカラーなどの人とモノに関わる色彩の基礎を学ぶ。

その間仕事も変わり、様々なファッション・イメージなどの色んな学びを重ねながら会社員と2足のわらじで、(当時の会社承諾のもと)カルチャースクールの講師や個人レッスンの仕事、師匠のスタジオでのアシスタントなどを進めていく。
気付けば、1998年、28歳の春。
あるきっかけを元に、「やるか、断るか」の選択を迫られたときに、まだ独立をする準備も整っていなく今のような起業情報も出回っていなかったけれどただ「やってみたい」その気持ちのまま会社を辞め、フリーランスで仕事を始める。
というより、こういう仕事の就職先などまだどこにもなかったので、結果フリーランスだったというのが正しい言い方かもしれません。

が!!!
普通のサラリーマンの家庭で育った私には事業をするという方法など知識も何もなく、退職してから色々、色々(笑)・・・落ちた穴は数知れず。。穴に落ちたり這い上がったりと、会社を離れ、学んだことは、とても大きかったです。
小さなことで言えば、文具を買ってくれていた会社に感謝(笑)、交通費をくれた会社に感謝、掃除をしてくれていたおばちゃんに感謝、事務をして私のサポートをしてくれていた人に感謝、接待交際費があるってすごい(笑)、仲間ってすごい、、、会社ってあらためてすごい所だと若者はガンガン頭を叩かれながら、、、長〜〜い長い時を経て、現在に至ります。

【Message】

あるべき姿が、ありたい姿になっていませんか?
「自分らしい」は、あなたが自分で一番しっくりくるトコロ。

♡たった1枚の服でも人生が変わる。
♡外見が変わると、人生が変わる。
そんな変化をとげられた方をこれまでたくさん見続けてきました。

洋服を変えただけ。
装い方を変えただけ。
なのに、全ての環境までもが変わっていく人がいます
「なぜだろう?」
そんな小さな疑問をこの業界に入った20数年前に感じ、
仕事をしながら外見から及ぼす様々な心理までを解明したく、
コミュニケーションや心理学、カラダの機能解剖学のほか、
ココロのこと、カラダのこと、、食のこと、様々な事を学びながら
現在まできました。

とても自信も度胸もない子でした

ここまでの私の歴史を聞いた方からはこれまでにも
「本当に自由に生きてきたんですね」と言われること
がよくあります。そうかもしれません。
それまでの20年分の時間を取り戻すかのように
自分の心の感じるまま、正直に、と決めてきました。
20歳までの人生は180度違った人だったと思います。
今ではこの話をしても想像つかないと言われますが
人前に出ることなど夢にも思ったこともなく、
何かを自分ですること、さらには20歳以降の人生を
想像すらできなかった時がありました。
20歳の誕生日を迎える直前。カウントダウンをしながら
過ごしていたように覚えています。
「あれ、どうやって死ぬんだろ」と。
日付変更線を超えてからしばらく夜空を見ていて
「あ、私死なないんだ」と。
初めて「生きる」ということを考えました。
生きる。そう決めてから全ての環境が変わっていきました。
そう。全ては「自分で決める」ということから。
それからは自分でも想像をしていなかった世界がたくさん
広がりました。
そして、スタイリングやファッションを勉強するようになり
自分でも着こなしが変わっていくと
不思議としか当時の私には思えていなかったけれど
他人からの言葉も変わってきました。

人は、うまくいくことばかりでもない。
でも、それが自分の経験と感覚をきっと育ててくれる。
私もただひたすら思うがまま進んできた時期もあるけれど、
悶々といろんな思いと格闘する時もあります。
でもその時には、やれる限りのことはしてみる。
でもそれでも時が動かなかったら、
自分の中の「何か」がピンとこなかったら、
そのうまく流れていない時間にも、
ゆっくり身を委ねてみようと思ってきました。
きっとその中で自分の気付くことが何かあるはずだから。
そこから生まれる何かがある。
時がきたら、きっと流れは変わる。
そうどこかで信じて、時の流れに逆らわない。
いい時間も、財産。うまくいかない時間も、財産。
それが私の過ごしてきた時間。
そんな時に、やっぱり私の背中を押してくれたモノ。
それが、自分のお気に入りのものや、ワクワクを想像できるモノ。
服には、そんな力があるって、思っています。